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大川家具特集~歴史深いまち大川~
460年以上の歴史を持つ大川家具は、そのまま「大川の歴史」と言われるほど地域と密に関わった歴史深い存在です。
そのデザイン力・技術力の高さは「家具のまち」と呼ぶに相応しく、長い歴史の中、そして現在でも高く評価し続けられています。 今回は、今でも人々に愛され続けている大川家具がどのようにして生まれたのか、その歴史をご紹介していきたいと思います。 ◆大川家具の歴史は室町時代からはじまった
大川家具の歴史は、遡れば室町時代の後期にその原点を見つけることが出来ます。
当時の港町榎津の船大工であった榎津久米之介は、その技術を生かして家臣の生活のためと「指物」を作らせました。 「指物」とは木の板を差合わせて作られた家具の総称で、釘などの接合道具は使用しないことが特徴です。 船大工は非常に高度な技術の持ち主であり、榎津久米之介はその技術を家具づくりに応用したのでした。 この時作られた指物が「榎津指物」の起源であり、大川家具のはじまりだと言われています。 ◆江戸時代後期には榎津箱物が登場
江戸時代後期、榎津長町に生まれて家大工をしていた田ノ上嘉作は、現代では大川家具の歴史における「中興の祖」と言われています。
田ノ上嘉作は家大工の傍ら建具製作にも携わっており、指物の中でも有名な「大阪指物」の修行を積んだという細工人が久留米にいると聞いた途端、即座に弟子入りしたんだとか。 その後箱物(タンスなどの箱系家具)製作の技術を手に入れた田ノ上嘉作は榎津に戻り、その技術で以って多くの箱物を作り上げました。これが「榎津箱物」の起源となったのです。 これ以降、榎津箱物は田ノ上嘉作の息子へ、孫へと受け継がれていき、唐細工など外国の技術と織り交ぜながら発展を遂げていくのでした。 ◆現代の大川家具の基礎となった榎津箪笥の誕生
明治時代になると、大川家具の歴史のなかでもその人気は最盛期を迎えます。
大川独特の製造法によって作り上げられた箪笥は独特の粋な雰囲気を放ち、販売する範囲も広がったことから、多くの地域で愛されるまでに至ったのです。 町村合併によって「大川町」が生まれ、この町が全国的に「家具のまち」と認識されたのもこの頃でした。 ◆まとめ~そして現代へ~
そんな経緯を経て、昭和には大阪で開かれた西日本物産展にて「引き手なし箪笥(河内諒デザイン)」が最高賞を受賞し、大川家具の名は全国に轟くこととなります。
全国への進出に伴い、取引のグループ化として「協同組合大川家具工業会」が発足するなど、今も続く組織の土台はこの頃に出来上がりました。
そうして今日に至るまで、大川家具は全国、そして世界にその存在感を放ち続けているのです。
長い歴史の中で作られ、そしてこれから作られる歴史の中でも進化し続ける大川家具。 その伝統と流行とを大切にしながら、大川の職人さんは今日も家具を作り続けています。 関連記事 |