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インテリアデザインの革命児たち ミッドセンチュリーのデザイナー知っておきたいミッドセンチュリーの巨匠4人
主にアメリカで1940年から60年代にかけておこったミッドセンチュリーのムーブメントは、またたく間にヨーロッパへも広がりました。
世界中で多くのインテリアデザイナーたちが生まれ、現代でも色あせない「名作」と呼ばれる家具を数多く残しました。 彼らのデザインした家具は、これ以上何かを足すことも削ることもできない、完璧な作品として50年以上を経た今でも愛され続けています。 そんなインテリアデザインの巨匠たちのあゆみを掘り下げてみたいと思います。 ハーマンミラー社
ミッドセンチュリーについて知ろうとすると「ハーマンミラー社」という言葉がたびたび登場します。 多くのデザイナーたちを生み出し、ミッドセンチュリーのインテリアを不動の地位に確立したハーマンミラー社について少し触れることにします。 ハーマンミラー社は1923年ミシガン州で家庭向けの小さな家具屋としてスタートしました。 そこから、「問題を解決するためのデザイン」という理念のもとに、優秀なデザイナーを数多く受け入れ、家庭とオフィス両方を対象としたコンテンポラリーデザインを取り入れ、急成長。 ジョージ・ネルソンやチャールズ&レイ・イームズ、イサムノグチといった名だたるデザイナーを輩出し、世界的にその名を知られる家具メーカーとなりました。 ジョージ・ネルソン(Gerge Nelson 1908-1986)
アメリカ・コネチカット州生まれ。 イエール大学で建築の学位を取得後、ローマに渡りアメリカンアカデミーで学びます。 米国に帰国してからはウィリアム・バンビーとともに建築事務所を設立しました。 同時に建築雑誌の編集長を務め、自らも多くの著書を出版するなど精力的に活動。 その後、ハーマンミラー社で初代デザイン・ディレクターを20年務め、当時無名だったチャールズ&レイ・イームズ夫妻やイサムノグチらを起用し、インテリアデザイン界に大きな革命を起こしました。 ジョージ・ネルソンの功績がなかったら、ミッドセンチュリーが今もなお愛され続けることはなかったかもしれません。 自身は、建築家・プロダクト・デザイナーにとどまらず、文筆業や教師、グラフィックデザインとその才能を多方面にわたり開花させました。
ジョージ・ネルソンの代表的な家具といえば、まず「マシュマロソファ」があげられます。
複数の円形を組み合わせてデザインされたこのソファは、「家具のポップアート」と称され、ポップアート界の巨匠・アンディウォーホルなどにも多大な影響を与えました。 見た目のインパクトだけでなく、独立した円形クッションが体の重みを分散させ、座り心地も快適な事が長く愛される理由かもしれません。 マシュマロソファの詳細はこちら
また、グラフィックデザインの要素を余すところなくデザインに盛り込んだ時計も彼の代表作といえます。
レトロでポップな佇まいは、発表から50年以上たった今でも色あせることはありません。 サンバースト・クロックの詳細はこちら チャールズ(1907-1978)&レイ・イームズ(1912-1988)Charles & Ray Eames
チャールズはミズーリ州で生まれ、ワシントン大学で建築を学びました。1930年に自身の建築事務所を設立して以降、数多くの建築作品を手がけてきました。
1941年に絵画の勉強をしてアーティストの道を歩んでいたレイと結婚。 同じ年、アメリカは第二次世界大戦に参入しました。チャールズは医療用の添木を成型木材で開発することに成功し、アメリカ海軍に正式採用されます。 この時の加工技術がのちに「イームズチェア」を生み出したのです。 その後、「品質の良いものをできるだけ安く」というコンセプトのもと、合板やファイバーグラスといった最新素材を使用した家具のデザインに着手します。 人間工学に基づいて計算されつくしたデザインの家具を、最新素材・最新技術で大量生産するというスタイルはそのままミッドセンチュリーのコンセプトとなり、チャールズ&レイ夫妻はインダストリアル・デザインの中核的な存在となりました。 チャールズ&レイ・イームズといえば「シェルチェア」を抜きに語ることはできません。 シェルチェアは1948年にMoMA(ニューヨーク近代美術館)がおこなった「ローコスト家具デザインコンペ」に優勝。 大量生産が可能な初めてのプラスチック製の椅子として世界中に衝撃を与えました。 現代では優れたデザインはそのままに、改良が加えられた「ジェネリック製品」も生産されています。 使いやすくアレンジされ手に入りやすくなったイームズチェアは、夫妻のコンセプトそのまま「安価で質の良いものを、ひとりでも多くのユーザーに届け」られているのです。 アームシェルチェアの詳細はこちら イサムノグチ(Isamu Noguchi 1904-1988)
日本人の父、アメリカ人の母を持つイサムノグチはアメリカ・ロザンゼルスで生まれました。
3歳の時に来日しますが、その後アメリカに戻り高校生活を送ります。 医者を志しコロンビア大学の医学部に通うなか、アーティストへの夢へ向かうためにレオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の夜間の彫刻クラスでも同時に学びました。 彫刻の才能は目覚ましく、当時「ミケランジェロの再来」とも称され、入学3ヶ月後には個展を開くなど、アーティストとしての才能を開花させました。 第二次世界大戦時、日本人とアメリカ人の混血だったノグチは強制収容所へ拘留されるなど、不遇な時代を送ります。 戦後になり、ジョージ・ネルソンの依頼でインテリアデザインに着手。 曲線を多用した美しい作品を数多く残しました。 フリーフォームソファの詳細はこちら コーヒーテーブルの詳細はこちら 柳宗理(Souri Yanagi 1915-2011)
ミッドセンチュリーのムーブメントは日本にもやってきました。
東京・原宿で生まれた柳宗理は東京美術学校(現在の東京芸大)洋画科に学びます。 大学の講義でル・コルビジェを知り感銘を受け、卒業後はコルビジェの弟子であるシャルロット・ペリアンのアシスタントを務めました。 余計な装飾を限りなく排し「用の美」にこだわった柳宗理のデザインは世界中で高く評価され、代表作であるバタフライ・スツールは1966年にMoMAやルーブル美術館などでパーマネントコレクションに選ばれました。 また、エレファントスツールは、インテリアデザイン界で初めてのプラスチック一体成型スツールとして1954年に発表されました。 可愛らしい3本足を持つ、この別名「象足スツール」は日本のインダストリアル・デザインの名作として高い評価を受け、1970年の大阪万博のパビリオン用の椅子として採用されたことでも有名です。 エレファントスツールの詳細はこちら |